稲むらの火 という物語をご存知でしょうか。
1854年(安政元年)の安政南海地震の大津波が
紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)を襲いました。
浜口梧陵 という人物が、稲むら(藁を干すために積み上げたもの)に火をつけて、
暗闇を逃げ惑う人々を高台の広八幡神社へ導き、多くの命を救った・・・というお話。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「A Living God(日本名「生き神様」)」を
和歌山県出身の中井常蔵が翻訳・再話したものが、「稲むらの火」です。
稲むらの火の里へ浜口梧陵の偉業の足跡を訪ねてきました。
稲むらの火の館。
浜口梧陵記念館と津波防災教育センターが併設されています。
浜口梧陵は広村出身の実業家で、ヤマサ醤油の当主であった人です。
ドラマ JIN-仁-にも、ペニシリン製造の支援者として登場しているので
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
ちなみに、日本の醤油発祥地は和歌山県です。
大消費地の江戸の近くの千葉県銚子に移転し、醤油製造を始めたのが
現在のヤマサ醤油だと言われています。
感恩碑。
広村の歴史に触れながら、濱ロ梧陵の偉業とその徳を称えたもので、
昭和8年12月に建立されました。
広村堤防。
浜口梧陵が1,572両の私財を投じ、延人員56,736人の村人を雇用することで、
津波の被害で荒廃した村からの離散を防ぎました。
国の史跡に指定されています。
昭和21年の南海地震のときに発生した大津波を防ぎ
広村の人々の命を守りました。
防潮扉。
避難標識。 町のあちこちで見かけました。
現在も津波、防災に対する意識が高いようです。
今なお、浜口梧陵の教えが息づいているのでしょう。
広八幡宮へも行ってきました。
この鎮守の森に人々を導くために、稲むらの火を燈したのです。
浜口梧陵碑。
濱ロ梧陵の生涯の事績やその徳行を称えたもので
広八幡神社境内の山手の一隅にたたずんでいます。
浜口梧陵墓。
扉の向こうのお墓に浜口梧陵が眠っています。
広村堤防とともに国の史跡に指定されています。
浜口梧陵銅像。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、生き神様と讃えた浜口梧陵。
和歌山が誇る偉人です。
1854年(安政元年)の安政南海地震の大津波が
紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)を襲いました。
浜口梧陵 という人物が、稲むら(藁を干すために積み上げたもの)に火をつけて、
暗闇を逃げ惑う人々を高台の広八幡神社へ導き、多くの命を救った・・・というお話。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「A Living God(日本名「生き神様」)」を
和歌山県出身の中井常蔵が翻訳・再話したものが、「稲むらの火」です。
稲むらの火の里へ浜口梧陵の偉業の足跡を訪ねてきました。
稲むらの火の館。
浜口梧陵記念館と津波防災教育センターが併設されています。
浜口梧陵は広村出身の実業家で、ヤマサ醤油の当主であった人です。
ドラマ JIN-仁-にも、ペニシリン製造の支援者として登場しているので
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
ちなみに、日本の醤油発祥地は和歌山県です。
大消費地の江戸の近くの千葉県銚子に移転し、醤油製造を始めたのが
現在のヤマサ醤油だと言われています。
感恩碑。
広村の歴史に触れながら、濱ロ梧陵の偉業とその徳を称えたもので、
昭和8年12月に建立されました。
広村堤防。
浜口梧陵が1,572両の私財を投じ、延人員56,736人の村人を雇用することで、
津波の被害で荒廃した村からの離散を防ぎました。
国の史跡に指定されています。
昭和21年の南海地震のときに発生した大津波を防ぎ
広村の人々の命を守りました。
防潮扉。
避難標識。 町のあちこちで見かけました。
現在も津波、防災に対する意識が高いようです。
今なお、浜口梧陵の教えが息づいているのでしょう。
広八幡宮へも行ってきました。
この鎮守の森に人々を導くために、稲むらの火を燈したのです。
浜口梧陵碑。
濱ロ梧陵の生涯の事績やその徳行を称えたもので
広八幡神社境内の山手の一隅にたたずんでいます。
浜口梧陵墓。
扉の向こうのお墓に浜口梧陵が眠っています。
広村堤防とともに国の史跡に指定されています。
浜口梧陵銅像。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、生き神様と讃えた浜口梧陵。
和歌山が誇る偉人です。