奠供山は、和歌浦の玉津島神社の西側にある、高さ30メートルあまりの小さな山です。
神亀元年(724年)聖武天皇は即位してすぐに和歌浦へ行幸し、2週間滞在しました。
このとき奠供山に登り、和歌浦の風景に感動し、
この景観を守るように詔を発したと伝えられています。
また、この地には明治43年(1910年)
日本初の屋外型観光用のエレベーターが設置されました。
エレベーター。
エレベーター
設置の翌年にこの地を訪れた夏目漱石の小説『行人』にも登場し、
当時東洋一と謳われたそうですが、僅か6年後の大正6年(1916年)に
第一次世界大戦の影響により、解体され軍用艦に変わってしまったそうです。
小さな岩山が奠供山です。
玉津島神社入り口。
古くから和歌の神様として多くの歌人の信仰を集めてきた玉津島神社。
万葉のゆかりの深い神社です。
鳥居をくぐって境内を左に進みます。
すぐに登り口があります。
けっこう急な石段です。
でも、ずく山頂に着きます。
5分くらいでしょうか・ ・・
奠供山山頂。
写真正面の木が茂っているあたりに
エレベーターがあったそうです。
望海楼遺址碑。
天平神護元年(765年)10月の称徳天皇行幸の際に滞在した
望海楼の故事を記した石碑。
江戸時代後期の儒学者仁井田好古によるものです。
片男波の風景。
和歌浦の風景。
万葉の人々に愛された和歌浦の風景
今なお、見る者の心をつかんで離しません。
みなさんも、ここに来て万葉ロマンを感じてください。
万葉の古にタイムスリップしたような気分にちょっとだけなれますよ。
神亀元年(724年)聖武天皇は即位してすぐに和歌浦へ行幸し、2週間滞在しました。
このとき奠供山に登り、和歌浦の風景に感動し、
この景観を守るように詔を発したと伝えられています。
また、この地には明治43年(1910年)
日本初の屋外型観光用のエレベーターが設置されました。
エレベーター。
エレベーター
設置の翌年にこの地を訪れた夏目漱石の小説『行人』にも登場し、
当時東洋一と謳われたそうですが、僅か6年後の大正6年(1916年)に
第一次世界大戦の影響により、解体され軍用艦に変わってしまったそうです。
小さな岩山が奠供山です。
玉津島神社入り口。
古くから和歌の神様として多くの歌人の信仰を集めてきた玉津島神社。
万葉のゆかりの深い神社です。
鳥居をくぐって境内を左に進みます。
すぐに登り口があります。
けっこう急な石段です。
でも、ずく山頂に着きます。
5分くらいでしょうか・ ・・
奠供山山頂。
写真正面の木が茂っているあたりに
エレベーターがあったそうです。
望海楼遺址碑。
天平神護元年(765年)10月の称徳天皇行幸の際に滞在した
望海楼の故事を記した石碑。
江戸時代後期の儒学者仁井田好古によるものです。
片男波の風景。
和歌浦の風景。
万葉の人々に愛された和歌浦の風景
今なお、見る者の心をつかんで離しません。
みなさんも、ここに来て万葉ロマンを感じてください。
万葉の古にタイムスリップしたような気分にちょっとだけなれますよ。
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